- 学習のねらい・学習効果
- ◎授業で習った古代の歴史の遺物を直に確認し、歴史への関心を深める。
- ◎自然とともに生きた古代の人々の知恵と自然に対する尊敬の気持ちを学ぶ。
- ◎縄文から弥生にかけての歴史と文化、生活の知恵と技術を学ぶ。
- ◎中世都市の生活と交易を学ぶ。
- 【教科とのかかわり】歴史
日本最大級の縄文集落跡である特別史跡三内丸山遺跡は、今から5,500〜4,000年前の縄文時代前・中期の大集落跡です。地面に穴を掘り柱を建てて造った大型掘立柱建物跡では、直径・深さが約2m、縦横の間隔が4.2mの柱穴に、直径約1mのクリの木柱が残っていました。計画的な集落づくり、遠方との交流・交易など、縄文文化のイメージを大きく変えるきっかけとなりました。
また、弥生時代中期の遺跡として知られる田舎館村の史跡垂柳遺跡では、昭和56年に発見された水田跡に、弥生人の足跡が数多く残されていました。これにより東北地方北部にも弥生時代があり、稲作が伝来していたことが証明されました。
2009年1月には、青森県の遺跡を含む「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」が、世界遺産暫定一覧表に記載。継続した狩猟・漁労・採集生活の実態を示すとともに、自然と人間との共生を示す考古学的遺跡であることなどが評価されました。
十三湊は、『廻船式目』(かいせんしきもく)に記録される「三津七湊」(さんしんしちそう)の一つに数えられ、中世に始まる典型的な港湾都市の一つです。全国的にみても、大規模に整備された北日本屈指の港町で、日本海を舞台に北方交易の玄関港として、重要な役割を担っていました。平成3年以降の発掘調査により十三湊の実態が徐々に明らかにされ、平成17年、史跡に指定されました。
室町時代に入ると、十三湊には「日之本将軍」(ひのもとしょうぐん)と呼ばれた蝦夷(えみし)の系譜を引く在地豪族、安藤氏の本拠が置かれました。遺跡からは大量に陶磁器が見つかり、港町の生活ぶりや日本海交易の実態を伝えています。


三内丸山遺跡で火おこし体験

弥生人の足跡

弥生時代の水田跡 白っぽく見えるのが足跡(田舎舘村埋蔵文化財センター)

空から見た十三湊遺跡
私たち三内丸山応援隊会員93名は、ボランティアで遺跡のガイドや体験指導をさせて頂いてから19年目を迎えております。遠足や修学旅行でおいでになる生徒さんの、一生の思い出づくりのお手伝いをできることに誇りを持って活動しております。一度おいでになった生徒さんが今度は家族を伴っておいで頂ける、そんな「あづましの里」でのガイド、体験指導を目指しております。コンピューター社会の中、流れるスローな時間、自然や人の声、鳥の声、三内丸山遺跡はやさしくつつんでくれます。私たちに声をかけて下さい。お待ちしております。










